■共同通信の配信で、地元の宮崎日日新聞をはじめ、
全国の多数の新聞に大きく掲載されました。
上記記事は、9月13日の東奥日報「食再発見」~変化のかたち~
■悪条件克服までの歩み
高温多雨でミネラル不足の火山灰土壌、毎年のように襲ってくる台風…と、ぶどうづくりには不向きともいえる都農の地で、栽培が始まったのは、戦後間もなくのこと。
「田んぼに木を植えるなんて…」と、陰口をたたかれながらも懸命に栽培に取り組んだ永友百二。百二が苦労して始めたブドウ栽培は、やがて周辺の農家に広がり、都農町は県内有数の産地となりました。
■夢は世界一のワイン作り
地元のぶどうで町おこしをしようと、平成8年、都農ワインを設立(第三セクター)。ワインづくりに向けて新たな夢と挑戦が始まりました。
ワインづくりの厳しさは、ぶどう果樹の生育が気候により左右されること。
無名のワイナリーが、悪条件を克服し、国内外で評価されるようになるまでの歩みが紹介されています。是非ご覧ください。