■独自の栽培方法
都農町はぶどう栽培に恵まれた土地ではない。先達たちは、地が浅く田んぼに向かない土地だからこそ、換金手段を求め、ぶどう栽培を始めた。昨年の降水量は3000mmを超えた。台風もやって来る。今年は、牧内生産組合の赤品種は台風で全滅した。
その中で、私たちは一筋の光明を見出そうとしている。それは、土壌作りによるぶどう栽培である。
牧内生産組合のぶどう畑は“黒ぼく”と呼ばれる火山灰土。非常にやせた土地である。ぶどうは、一般的にやせた土地で良く育つと言われるが、私たちはやせた土地と言う意味を取り違えていたかもしれない。従来の方法でワイン専用種を栽培してもうまくいかない。おまけに、ここは年間降水量が3000mmを超えるようなところである。ひどいものになる幼木のうちから枯死する。そこに、地元の有機栽培研究会のリーダー、三輪 晋氏と出会うことになる。彼の勧めに従って土壌分析をしてみると、極端にミネラル分が少ないことに気付く。彼らも都農町の黒ぼく土壌に苦労していた。その一つの答えが、土壌作りだった。
私たちは、積極的に堆肥を利用している。堆肥を投入し、土壌の団粒構造を作り、ぶどうの毛細根が発育しやすい環境を作る。それによって健全なぶどう樹木、ぶどう果実が得られるという考え方である。従来の栽培法では、堆肥は窒素分、カリウムが過剰になるとして、積極的には利用しない。また、根の成長は栄養成長に走る(実をつけずに枝ばかり伸びること)として嫌う。
結果として、健全なぶどう樹木が増えて、農薬の散布量が減った。特にベト病の予防薬であるボルドー液は、今では散布していない。
この農法で作られた都農ワインのシャルドネは、山梨などのものと比較しても引けを取らない品質のものが出来ていると思っている。大言壮語に過ぎるかもしれないが、私は、この農法に、ワイン専用種の栽培は日本では不向きであるという、“宿命的風土論” を打ち破るヒントが隠されているのではないかと思っている。
その後、三輪 晋氏らの研究会は、町外の色々なグループと交流を重ね、牧内生産組合のぶどう畑は、彼らの実証圃と化した。そして彼らの技術に目をつけた行政は、堆肥化プラントをワイナリー敷地内に建設。町内の生ごみを集め、循環型農業の実践が始まり、なんと、その堆肥で作られた野菜の販売を大手スーパーと契約するまでになっている。