■地元産100%のぶどうのこだわり
平成8年、オープンして1ヶ月足らずで、製造した3万5千本の新酒が売り切れた。そこで、海外のぶどうを輸入してワインを製造してはどうかという議論が起きた。その当時、私の心情を綴ったものがあるので一部引用してみたい。
『以前、私は3年間程、ブラジル最南端のリブラメントという町でワイン醸造に従事していた。約100haの自社農園でぶどうを栽培し、農園で生産されたぶどうのみを原料に、いわゆるエステート、ドメーヌという形でワインを醸造していた。わずかに3年間という期間であったが、醸造技術者として珠玉の時を過ごしたと思っている。
当たり前のことだが、ワインはぶどうを原料にしている。ぶどうは貯蔵が効かないので、必然的にぶどうの収穫時期に仕込が集中する。と言うより、ワインの仕込とは、ぶどうを液体で収穫することに近いかもしれない。そして、ぶどうの品質、収量は天候に左右される。また、ワイン醸造は糖化という工程が無い分、ぶどうの品質がワインのそれに直接反映される。ワインの醸造には種々のテクニックが存在しているが、収穫されたぶどうのポテンシャルと比べたら、けし粒のように小さい。ぶどう栽培という風土を抜きにしたワイン作りは、ワインに輝きを失わせてしまう。このように考えていくと、ワイン醸造とは工業というより農業の一部として捉えた方が分かりやすい。
幸いにも、昨年製造したワインは完売した。そこで議論が起きた。ぶどうを輸入してでもワインを作るべきだと言う意見もあったのは事実である。しかし、経営陣が選択した道は経営的に痛みの伴う “100%尾鈴ぶどうのこだわり” だった。
安定供給という意味で、消費者の皆様にご迷惑をおかけしているが、弊社経営陣が取った大英断を私は誇りにしている。また、その決断を快く受け入れて下さった都農町の皆様に感謝している。
私の傍らには、いつも優秀な栽培技術者のパートナーがいた。栽培の苦労は身近で見てきた。そして、都農町では、先達の人々がぶどう栽培の敵地とは言い難い土地で苦労し、栽培技術を磨くことで、ぶどうの一大生産地に築き上げたのである。ここ都農町では、農業を軽視したワイン作りは、都農ワインの存在を無意味なものにしてしまう。
我々、醸造に携わる人間の役割とは、生産者の方々が丹精込めて育てたぶどうを間違いなくワインにし、消費者の方々に喜んで頂くことと認識している。そして、我々醸造の人間も積極的に畑に出てぶどう栽培に参加しなければならないものと考えている。』(情報みやざき No.186 1997/8・9、経営雑感より)
この文章は、若さゆえ書けたものだと思っている。今読み返すと、非常に気恥ずかしい。しかし、その当時のワイン対する純粋な思いがよく表れている。
今では、地産地消は当たり前のことだが、その当時は、なかなか理解してくれなく、テレビ局でさえ、供給できない都農町の行政責任というような切り口の取材があった程である。
私は、ワインは本来、地酒であるべきだと考えている。ワインの供給はナショナルブランドが行えばよい。私たちはこの都農町の風土をワインで表現したいのだ。
結果的に、地元のぶどうにこだわったことにより、地元ぶどう生産者たちとの絆が出来、なにより消費者の方々の信用を勝ち得たのではないかと考えている。